歯周病学会が幕張メッセでありました。
帰りの飛行機まで時間が少しある。
よし、大学時代住んでいた街に行ってみよう。そう思って学生時代住んでいた「稲毛海岸駅」を降りました。
実に卒業以来。約7年ぶり。懐かしい気持ちになった。
変わりゆくもの、変わらないもの。
商業施設は変わり、公共性の高いものは残る。
テナントは入れ替わり新しいものが入っていたり、建物から建ててある店は少しくすんでもそのままあるところも。
いつも試験勉強の時にお世話になっていたロイヤルホストがなくなり、ローソンに。
アパートの近くのライフが病院になっていた。
稲毛亭はなくなりマンションに。
スーパーはほとんどイオンになっていました。すこし寂しいものです。
いつもDVDを借りていたレンタル屋さんがなくなり駐車場に。
年月の経つ速さを感じる。
強いところは残り、弱いものは無くなる。もっと言えば変化に対応できたものは残り、変化に対応できなかったものは消えたのだろうが。
ちょっと変わった街並を歩いていて、懐かしく思い出すのは学生時代。
住み慣れた大阪と違い、方言も違い、一人暮らしを始めたあの頃。
当時は車もなく、自転車と電車で移動していた頃。
重いかばんを自転車のカゴに乗せて、大学の周りで生活していた頃。
ずーっと勉強と弓道ばかりの毎日。
外食も安いところだけ。
今よりずっと不自由な生活。
じゃあそこに何があったのだろう?
それは将来への希望と夢だった。
毎日あるテスト。刺激になる外部の先生の講演。
自分は東京歯科大学によくある他の歯学部学生とは違い、歯医者と全く関係のない家。そんな自分が自分の届く範囲でできる事は、歯学部の勉強に励むことだった。
歯科保存学教室の平井教授が授業で繰り返し言っていた言葉。「自分が患者だったら60点の医者(40点は間違う医者)に診てもらいたいか?100点の医者に診て欲しいだろ。そのためには学び続けなさい。」その言葉を信じ突き進んでいたと思う。
学部生のテストは、言うなれば、臨床に出て患者さんに向きあうことと同じものだと思って取り組んでいた。少しでも良い歯科医になりたくて。他の2世の同級生は、身近に歯科を見て、肌で感じており、無意識下で得ているものがある。自分にはそれがない。大学の講義、教科書、実習。自分の手の届くものはなんでも吸収する。
歯科医療界、歯科医学会の大きな流れの話を先生から聞きました。目からうろこでした。
「専門性を持て。」
これからは専門医精度が整備され、ただの歯科医師ではその他大勢に埋もれてしまう。歯科医師としてのすべての知識を身につけ、その上で自分の興味のあることを突き詰め得意分野を作れ。
必死だった。将来への不安。歯科医師は過剰である中でその職業に就くこと。歯医者の跡取り息子と同じだけ勉強をして、ギリギリで大学を卒業していたらダメだ。なんの歯科の地盤の無い自分が、他と同じ志でいたら自分はとんでもないことになってしまう。
自分には今学んでいるものしか無いこと。
良い歯医者になりたい。高校時代なにも出来なかった自分でも、少しでも役に立つ人間になりたい。
だから、今努力をする。人より劣るから、人に倍する努力をする。人のもっている歯科の経験がないから、少しでも吸収する。
素晴らしい出会いも合ったから。
若松宏之先生との出会い、眞坂信夫先生との出会い。歯科医師で勢いのある先生と交流する。スーパーボンドの開発に携わった思い出、歯科医療の素晴らしさを教えてもらった。それほど楽しいことはなかった。
歯科医学と夢を本気で語り合える仲間が出来た。真に価値のある医療とはなにか?酒のあては、まだ見ない自分たちの卒業後の姿だった。
自分が動くのは、本当に世の中がいい方向になるものへ。
ノスタルジックな想いに浸るのと、自分の原点を思い出しました。
歯科医療を極めて、世に貢献する。そんなことを考えながら、帰路についています。