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6152021

入れ歯と剣豪

今日は世界でも珍しい総入れ歯の話。最古の入れ歯は後述しますが有名人の総入れ歯は17世紀、江戸時代の前半に将軍家の剣術指南を務めた柳生飛騨守宗冬(剣豪柳生十兵衛弟)が総入れ歯だったことが、判明しています。

柳生又十郎二階笠図

注目すべきは、その精巧さなのです。上下の総義歯の肉床の部分はつげの木でつくられ、蠟石で彫刻した歯がはめこまれているということですが、その出来が、今の時代で見ても、素晴らしい。

日本では、江戸時代まで明確な医師の資格が、ありませんでした。まして歯科などは、行商の入れ歯職人が兼ねていたりして、かなりいい加減なものと思われています。

しかし、701(大宝元)年に出された「医疾令」という法令の中に、医師の養成が国家で行なわれることが、明記されているのです。科目には、内科や小児科と共に、歯科も加えられています。

医学生たちは木骨法といいまして、つげの木を使って1年間で一体の骨格の模型をつくったということなので、つげの木は古くから医学と関わってきたわけです。

このつげの木で入れ歯をつくることが始まったのは、10~11世紀、つまり平安時代と見られています。欧米で最初に上下そろった総義歯がつくられたのは18世紀になってからとされていますので、かなり日本は先駆けているのです。

柳生宗冬より早い1538(天文7)年に亡くなったという仏姫の総入れ歯も、和歌山市内の願成寺に現存しておりまして、摩耗の状態から判断していかによく噛めたかが実証されているそう。相当に優秀なものだということです。

明確な資格はなくても、国家の医師養成機関はずっと存在し、ましてこうした優れた入れ歯をつくっていた職人たちですから、歯学の知識もかなりあったものと思われます。